スペイン
ポルトガルに続いて大航海時代に乗り出したスペインは、1492年にクリストファー・コロンブス
によって新大陸を発見しました。
スペインは1494年に先行するポルトガルとトルデリシャス条約を結び、子午線150km西を境界線として
その西側をスペイン、東側をポルトガルの支配地とする取り決めを行いました。
その後スペインはコンキスタドレスと呼ばれる征服者達を新大陸に送り込み、アステカ帝国、
インカ帝国などの先住民文明を次々と滅ぼし、土地を征服しました。
彼らは先住民たちから金・銀・宝石類など莫大な財宝を国に持ち帰ったと言われます。
また、スペインはボリビアにあるポトシ銀山を発見し、先住民を強制労働させて銀を採掘させました。
大量の銀の発見はスペインに莫大な富をもたらす一方、銀貨の価値を下落させ、ヨーロッパに物価上昇を
もたらしたと言われています。
フランス
フランスはスペインに遅れて1520年ごろからアメリカの探検を開始しました。
1534年にガスペ半島に到達したジャックカルティエは、ここにヌーベルフランスの領有を
宣言し、その後フランス軍の侵攻によりフランスは北米の東半分の広大な地域を支配する
までになりました。
イギリス
イギリスはヨーロッパ諸国のなかではアメリカ進出は遅いほうでしたが、北米東海岸に到達し、
現在のアメリカ合衆国の原型とも呼べる13植民地を建設しました。
またアンティル諸島地域の島々や、カリブ中央に位置するジャマイカをスペインから奪取すると、
ポートロイヤルに首府を移し、ここをイギリス海軍の司令部としました。
オランダ
もとは神聖ローマ帝国の領土だったオランダは、15世紀末にスペインのハプスブルグ家の支配下に入り
ました。
しかしプロテスタント教徒の弾圧によりスペインに対する不満が高まり、80年戦争の結果、1648年のヴェスト
ファーレン条約によりオランダはスペインから独立しました。
すでに1602年に設立したオランダ東インド会社によって域外に進出していたオランダは、インドネシアの
バタヴィア(ジャカルタ)に本拠地を築いてポルトガルから香辛料貿易を奪取しました。
イヌイット
イヌイットは、カナダ北部など北極部に生活する先住民族です。
狩猟民族で、クマやオオカミを狩って生活を支えてきました。
モンゴロイド系で、その起源は氷河期の陸続きだった時代にアジアから移動してきたとも言われています。
イロコイ族
イロコイ族とは1つの部族ではなく、オノンダーガ族、カユーガ族、モホーク族、セネカ族、
オネイダ族といった部族の総称を言います。
彼らは北米のオンタリオ湖周辺で活動していて、14世紀ごろに部族連合を形成したと言われて
います。
その後イギリスが進出すると、13植民地による分断工作にあい、部族同士が抗争することに
なります。
チェロキー族
北米のミシシッピ川流域を中心に活動していた部族です。
彼らは自分たちの土地を守るためにイギリス、アメリカと戦うことになりますが、
最終的に白人文明を受け入れることで現在に至っています。
アパッチ族
アパッチとは、北米の南西部に居住していた6つの部族で構成されるインディアンでした。
約5000-6000年前にシベリアからアラスカ経由でアメリカに渡り、南下して遊牧生活を
送っていたとされています。
スペインとは平和的関係を築いた時期もあったとされていますが、争いも絶えず、メキシコが
独立した後は居住地をめぐってメキシコ人との争いも起こっています。
アステカ文明
アステカは、メキシコ中央部に栄えた先住民の帝国で、12-13世紀ごろにこの地に定住したと
されています。
軍事国家であっとも言われていますがヴェラクルスに入植したスペインとの戦いに敗れ、1521
年には国王だったクアウテモクが捕らえられ滅亡しています。
マヤ文明
マヤ文明は、メキシコ、ベリーズ、グアテマラなどが存在するユカタン半島地域に栄えた
先住民文明です。
このエリアには複数の国家が成立していましたが、スペインの植民地化が進み、17世紀後半には
すべてのマヤ国家がスペインに併合され、滅亡しました。
インカ文明
インカ文明は、南米のアンデス山中に栄えたとされる先住民文明です。
現在のペルーやチリ周辺の広大なエリアに存在したとされています。
16世紀前半にはスペインのコンキスタドールであるフランシスコピサロによって
侵略が行われ、インカ文明は滅んでいます。
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