江戸幕府の成立

江戸幕府は、徳川家康が1603年に征夷大将軍に就任し、行政府である幕府を京都から 武蔵国(江戸)に移転したことから始まりました。

江戸幕府は現代の中央集権国家とは異なり、幕府を武家の頂点としながらもそれぞれの 大名に領国の一定の自治権を与える幕藩体制がとられていました。
各大名は幕府との主従関係の証として参勤交代が義務付けられ、一年ごとに江戸と領地の 往来が義務付けられていました。

その過程で五街道をはじめとした街道の整備が進められ、江戸時代の国内流通は
一段と活性化しました。


国内流通の整備

江戸時代には、国内の交通整備のために江戸を中心とした五街道の整備が行われました。

【東海道】
三条大橋(京都)から太平洋沿いに日本橋(江戸)まで

【中山道】
三条大橋(京都)から山間部を経由して日本橋(江戸)まで

【日光街道】
日光(栃木)から南に下り日本橋(江戸)まで

【奥州街道】
白河(福島)から宇都宮(栃木)まで
宇都宮から日本橋(江戸)まで

【甲州街道】
下諏訪から日本橋(江戸)まで


また、陸上交通だけでは商品の大量輸送には不十分だったため、次第に水上交通が発達していきました。

【樽廻船】
清酒の輸送を目的に作られた
主に上方(京都)-江戸間で物資を運ぶ

【菱垣廻船】
船べりの積荷が落ちないように菱形の垣をつけたことから名前がついた
主に上方(京都)-江戸間で物資を運ぶ


【西回り航路】
日本海側の酒田(山形県)から下関(山口県)側を経由し、大阪に向かう航路。
大阪からさらに江戸に向かう

【東回り航路】
日本海側の酒田(山形県)から津軽(青森県)側を経由し、江戸に向かう航路。
江戸からさらに大阪に向かう


出島とオランダ貿易

日本は江戸時代初期までにヨーロッパの各国と貿易を行っていましたが、
キリスト教の過度な広まりを警戒した江戸幕府は、ヨーロッパの貿易相手を
オランダ1国に限定し、それ以外のヨーロッパ国家は締め出されました。

またオランダも長崎に建設された出島と呼ばれる建設地のみ駐留がゆるされ、原則として
出島の外に出ることは禁止されていました。



中国(清)と朝鮮(李氏朝鮮)との貿易

明が北方民族である後金国に滅ぼされて、中国には清王朝が誕生しました。
江戸幕府は当初清王朝との外交に積極的ではなかったものの、商業活動は
行われていたため、幕府は長崎に唐人屋敷を建設し、居住地を限定して
商業を統制しました。

江戸時代初期は豊臣秀吉が朝鮮に出兵したために朝鮮との外交関係は
断絶しており、日本は朝鮮側に通信使の派遣を打診することで国交の
回復を図りました。

朝鮮との外交は主に対馬藩を通じて行われました。
朝鮮からは朝鮮通信使と呼ばれる外交団が派遣されることになり、江戸に
向かったとされています。



アイヌとの交易

江戸時代は蝦夷(現在の北海道)に居住するアイヌ民族との交易も行われていました。
これらは松前藩が独占的に行い、昆布、ニシン、毛皮などが交易されていました。




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