明(中国)

14世紀まで中国大陸はモンゴルの興した元の支配下にありましたが、
貴族の贅沢な生活によって農民の反乱が相次ぎ、中でも宋代から始まる
白蓮教徒が起こした紅巾の乱が大規模な反乱に発展しました。

紅巾軍の一武将で、かつて僧侶でもあった朱元璋が江南地方を支配し、
1368年には金陵(現在の南京)を首都として皇帝に即位し、明を
建国しました。

明はその後モンゴルを北に後退させ、中国全土を支配することになります。

明は中華思想に基づき周辺国から「貢物」を受け取り、中国はこれに応え「賜物」
を授ける、という朝貢貿易が行われました。

また明は様々な対外政策を行い、15世紀には鄭和による南海遠征が行われ、インドから
中東にかけて交易圏を拡大しました。



李氏朝鮮(朝鮮半島)

李氏朝鮮は14世紀から19世紀まで朝鮮半島を支配していた王朝で、漢城府(現在のソウル)
に首都が置かれていました。

1392年に高麗の武将であった李成桂が北元と手を組んで高麗の王である恭譲王を退位させ
高麗を滅ぼしたことで誕生しました。

李氏朝鮮は高麗の国教であった仏教から儒教に国教を改め、漢字による表現から訓民生音
(ハングル)を制定しました。



室町幕府(日本)

室町幕府は鎌倉幕府の御家人であった足利尊氏が興しました。
鎌倉幕府は後醍醐天皇によって元弘の乱が発端となり、足利尊氏、新田義貞らによって
北条家が滅ぼされることで滅亡しました。
その後後醍醐天皇によって建武の新政が行われますが、後醍醐天皇と足利尊氏は対立し、
足利尊氏は北朝・持明院統を興し、後醍醐天皇は吉野で南朝・大覚寺統を興します。

その後日本は南朝、北朝の2つの王朝が成立する南北朝時代に入りますが、室町幕府の
3代将軍である足利義満の時代に南北朝は合一がなされ、日本は室町幕府によって
統一されます。



琉球

琉球王国は現在の沖縄県に存在した王朝で、15世紀までに存在した北山、中山、南山の3つの
国が尚巴志王によって統一されることで誕生しました。

琉球王国は統一後明に服属し、朝貢貿易を行っていたとされています。



北元(モンゴル)

モンゴルによって建国された元王朝は、貴族の過度な支出によって財政が圧迫され、
次第に力を弱めていきました。
その後紅巾の乱によって登場した朱元璋によって中国大陸を奪われ、モンゴル高原に
後退して北元を興すことになります。
北元は1388年に滅びますが、明のモンゴルに対する圧力が弱まると、東に北元系の
タタール(韃靼)が興り、西にはオイラートが成立し、互いに勢力を競うことに
なります。



ウィグル

12世紀頃まではウィグル地方には天山ウイグル王国と呼ばれる国家が存在し、現在のウィグル
民族の原型が作られました。
モンゴル帝国が興るとウィグルはモンゴルに服属し、帝国の支配下に入りました。
帝国が崩壊して以降はチャガタイ・ハン国、オイラートなど周辺国の支配下に入り、
その間に民族のトルコ化が進んでいったとされています。



チベット

チベットにはかねてよりチベット仏教の国が存在しましたが、モンゴル帝国の
侵攻により元の支配下に置かれました。

モンゴルにおいてはチベット仏教は厚遇され、皇帝の熱狂的な信仰によって莫大な
出費がなされ、元の財政は圧迫され、滅亡の原因になったとさえ言われています。

チベット仏教は明でも厚遇され、これを堕落とみなしたチベット教徒の一部からは
改革を求める動きが表れます。
チベット仏教の学僧だったツォンカパは、厳格な戒律の実行を説き、従来の宗派である
紅帽派(紅教)から黄帽派(黄教)が開かれました。

それ以降黄帽派の教主がラサを首都としてチベットの政治・宗教を取り仕切るように
なりました。


黎朝(ヴェトナム)

13世紀のヴェトナムは陳朝が支配していましたが、国内の内乱で陳朝が滅んだ後は、
明がヴェトナムに侵攻してきました。
しかしヴェトナムは明に抵抗し、陳朝の武将だった黎利によってハノイを首都とした
黎朝が誕生しました。


ティムール朝

ティムール朝は14-16世紀にかけてイランからトルコまでの広大なエリアを支配した
イスラム教の王朝で、現在のウズベキスタンにあるサマルカンドに首都が置かれました。

チャガタイハン国の有力部族だったティムールは、同国の分裂に乗じて勢力を伸ばし、
チンギス・カンの三男オゴデイの子孫ソユルガトミシュを擁立して1370年にティムール朝を
建国しました。

首都サマルカンドはシルクロードの中継拠点として栄え、盛んな商業活動を通じて学問、
芸術なども発展したとされています。



この時代のヨーロッパ

15世紀にはイタリアでギリシア、ローマなどの古き良き文化を復興しようという
動きが興り、これはルネサンス(再生)運動と呼ばれています。

背景には十字軍遠征によってジェノヴァ、ヴェネツィアを中心とする海上交易が発展し、
それによってイタリアで資本主義が発達し、文化・芸術活動が活発になる土壌が築かれて
いたといえます。

またポルトガルでは香辛料をより安価に仕入れるために海洋進出が活発化し、インドへの
航路を確立するためにアフリカ沿岸への進出を進めています。



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